扉を叩く音がして、オルフェアは書物から目を離した。
「オルフェアさん、俺です」
アルフレッドソンの朗らかな声が響いた。オルフェアは書物を閉じ、立ち上がってドアのロックを外した。瞬間、扉が自動で開いた。
「最近、よくここにいますね」
アルフレッドソンがいつものように明るい笑みを湛えて入ってきた。
彼の言うとおり、最近は一人で過ごしたくなるとこの部屋に来ていた。
ここはポリマーの飼育室である。オルフェアの個室ではない。現在、この研究所に「個室」というものは存在しない。メンバーはみな二人で一部屋を使っており、外出も禁じられた今では、一人になりたくば他の部屋を見繕うしかなかった。実験室や研究室は共用部分が多くて一人になりにくい。それでなくとも広い部屋は内側からロックをかけるのがためらわれた。それでここを選んだのだ。
ポリマーは静かで、おたがいに邪魔にならなかった。もともとモンスターの世話はオルフェアの担当であったし、勤務時間外ともなればこの部屋に入ろうとする人間などまずいなかった――アルフレッドソンを除いては。
(今日は何かしら)
オルフェアは無言で彼の顔を眺めた。目の前の青年は、ほとんど日課といっていいほど、何かしら用を見つけては自分に会いに来るのだ。昨日も一昨日も、思い出話を語りに来た。先週は一週間、お茶の入れ方を請われて教えたし、最近はご無沙汰だけれど新しい歌を作って披露しに来ることもあった。
「ダーネル卿と買い出しに行ったんですよ。市場でこれを見つけて……」
アルフレッドソンは手に提げていたものを持ち上げ、覆いを取った。
「まあ、きれい……」
小型の籠の中に、明るい緑色をした小さな蜥蜴がいた。美しい蜥蜴だった。オルフェアは思わずその籠に手を伸ばしていた。
「あなたの目の色と同じだったから。……もらってくれますか」
オルフェアは屈託のない笑顔で応えた。
「ええ、ありがとう」
(……!!)
いつものようにおずおずと手に取るのだろうと思っていたアルフレッドソンは、少なからず驚いた。
オルフェアは嬉しそうにこのプレゼントを受け取った。よくある遠慮がちで半分困ったような微笑ではなく、心から喜んでいる様子だった。アルフレッドソンは突っ立ったまま、彼女をまじまじと見つめた。
(彼女の笑顔を初めて見た気がする)
そう思っただけで、嬉しさで胸がいっぱいになった。そうか、今このときに二人の心が通じあったのだと、アルフレッドソンは確信した。
ふと、オルフェアが顔を上げた。彼の視線に気づき、目が合うなり顔を赤らめて、いつもの表情に戻りかけた。
アルフレッドソンはいきなり彼女の両肩を掴んだ。
「オルフェアさん、結婚してください!!」
オルフェアが目をまんまるにするのが見えた。彼は構わず、激しく迫った。
「絶対、幸せにしますから!!」
「は、はい……」
勢いに押され、オルフェアはYESと答えてしまっていた。
「ありがとう!!」
アルフレッドソンは彼女の頬に接吻すると、「ダーネル卿に報告してくる!」と叫びざま部屋を駆けだして行った。あとに残ったオルフェアは茫然と佇んでいた。
(結婚……? 私たちが結婚ですって……!?)
ようやく現実が把握でき、事の重大さを呑み込んだときには遅かった。思わず意識が遠のきかけた。シッ、と、籠の中で小蜥蜴が音を立てた。
(118年11月30日、午後)
(『ラクリマ・マテリア』より ◆ 2003年3月初出)