□ 羞じらい □

 

 かっと顔が火照った。
 どうしてだかわからない。
 胸も、なんだかもぞもぞして気持ち悪かった。
 ――のぼせかしら?
 更年期障害には早すぎると思うのだけれど。

「ごっ、ごめんなさい…!」
 思わず手で手を握った。少し汗ばんでいる。
 ――でも熱はないみたい。
 それはそれで変な気がした。だってどこかに熱があるはず。この身体のどこかに。

 なんだろう、この気持ち。とても収まりが悪い。
 知らない。わからない。ただ、
 ――目を見るのがこわい。
 迷惑なことをしてしまったんじゃないだろうか。何か、よくないように思われなかっただろうか。
 そうして恐れながら、見ずにはいられなかった。
 そのひとが笑うのが目に入った。
 満面の笑み。
 花が開くように。
 木々が若き緑の葉を広げるように。

 ああ、なんてまばゆい。まぶしさで目が潰れぬよう、私は隠れてそっと見ていたい。水面に映る木々の、そのまた葉陰に身をひそめて。

 胸の、粟立ちがおさまっていく。さざなみのように、清涼な安堵感が徐々に内部を浸していって… …脈絡なく思い浮かべた。
 ――このひとの手……。
 大きくて、少し荒れて、ごつごつしている、でもやさしい手。――院長さまのような。
 なぜだろう。その手を想うだけで、不思議な気持ちになるのは。水のように穏やかで、けれど微かにかゆさが残るような……くすぐったいような気持ち。
 やさしい手をしたやさしいひと。このひとのそばにいると、世界もあまりこわくない。

「行こうか」
 誘(いざな)われて、彼女も彼に笑顔を向けた。頬に桜の彩りを残したまま。

 頬を染める。それが初めてのことだったと、彼女自身は知らない。

 

(460年6月8日ごろ)

 

 

(『ラクリマ・マテリア』より ◆ 2003年8月初出)

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