おかしいんだろうか。
以前はそんなふうに思わなかった。
感情がなかったと聞かされたときも、それほど気にはならなかった。少し不思議に思っただけ。ただ、それが事実なのだ、一つの症例なのだ、と判ったつもりで。
変わってしまったのはきっとあのとき。
それでもまだこんなふうに思いはしなかったのに……。
足りないんだろうか。
心の働きがわからないのは、普通ではないから?
普通の人間ではないから周りがひとしなみに見えるのか。
いいえ、これは院長様から教わったこと。これはパシエンスの訓え。万物は存在という意味で対等である。それ以外の意味付けは観る者の偏見が行うものだから、物事を平等にとらえることを恒に怠るな、と。
そうするように努力してきたつもりだった。
自分なりに獲得してきたつもりだった。
それが最初から「そうだった」なんて思いたくはない。思いたくはないけれど……でも……。
目も耳もすべてが借り物。
だが私のは神からのではなく。
その時々に感ずることがあるように思っていた、それすらも予め決められたことだったのかもしれない。
この、ひとしなみにものを見る視点も。
今では私も知っている。
その視点は、みんなには歓迎されないらしいこと。
私は。
あなたと、路傍の石とを等しく見ることができます。
それは……。
別段変わったこととは思わなかった。ただ言う必要がないから言わなかった。
今は怖ろしくてとても口にできない。
寂しいと口にするだけで傷つけてしまうのだから、
「あなたはここにある石と同じくらい大切です」と言えばもっと傷つくだろう。
彼も?
彼もやはり傷つくのだろうか。
………なぜ?
私は傷つかない。だれにも傷つけられない。
傷ついているのは世界。
だから世界を見て。私のことは見ないでください。
傷つきはしないが、痛みは感じるものだから。
人間でなくても、愛情はかけられる。
人間でなくても、信頼は育てられる。
それは決しておかしいことではないという。ならば、今までのこともきっと無駄ではなかった。
だからこのまま。
このまま何も語らず一緒に居てもいいだろうか。目に触れぬようそっとしまいこんで。まるでなかったことのようにして、このまま変わらず。
けれども私は恐ろしい。
真実はいずれ万人の元に曝け出されるもの。
ずっとそうやって教わってきたし、それが救いなのだと今まで信じて生きてきた。
ならば……私の真実もいずれ知られるもの。
けれど……彼には知られたくない。
知られるくらいなら死んでしまいたい。
今、好きでいる、それだけならいい、それだけなら赦されると思っていた。結婚なんて望まないから、今だけ好きでいさせてください。ただそれだけ。
結婚なんて。
とてもできない。
お人形遊びをしているとか趣味が悪いとかつまらない人間だとか、
彼が言われたら笑われたらと思うだけで胸が張り裂けそうなのに。
彼や彼はきっとそんなこと思わない。でも他のひとはわからない。
だって滑稽だもの。魂のないモノが魂のある者と結ばれるなんて。
日ごと大きくなる思い。今までと少し違う、「好き」。
それは本当はだれのものなんだろう。
わかっている。こんなことを思い煩うのは愚かだって。
こんなくだらないことでなくもっと気に掛けるべきものが他にある、自分のことを思うより先に外を、世界を見るべきなのだ。こんなことを考えていると知れたら軽蔑されるにちがいない。いいえ、もう知られているかもしれない。早く止めなければ。
わかっている。だからいつまでも信頼を得られないのだ、と。
でも止められない。
私から涙を取り上げないで、と、悲鳴が彼方で谺する。
仮令それが空ろな真似事にすぎなくても
笑って捨てないでほしかった。
意味がないと、切って捨てないで、私を居させて。
ああ、けれど、あなた方が望むなら
あなた方の目を冒さぬよう空っぽになってみせよう。
あなた方の見まほしき私をその眸に映してみせよう。
それで共にいられるのなら───
でも止められない。
いつもいつも頭から離れない。
からだがつくりものなら。
私はどこにいるのか。
(460年8月5日、夜)
(『ラクリマ・マテリア』より ◆ 2004年2月初出)