「この辺でよく見かけるのは…」
キャスリーンが、ラクリマに近辺の薬草について語っている。
Gの聞きたかったことはヘルモークのことだったのだけれど、キャスリーンは思わせぶりなことを言っておいてそのことには触れずに薬草の話をし始めた。
一緒にいるラクリマが、薬草のことについても知りたがっていたようだったからなんだかあまり不快にはならない。
…というか、Gはまだ頭の中がぼんやりとしていた。
ありがたいことに、キャスリーンはGのことは全く目に入っていないようで…話の最初から無視されていた。
ヴァイオラに母のことを話してしまった。
ハイブ召還の犯人として処刑された、シルヴァ=ノースブラドが彼女を拾って育てた母だ、と。
不思議と、ヴァイオラがそれを他の人に話したらどうしよう、とか、そういう風には考えられなかった。
ただ、なんとなく…ずっと押さえていたモノを一気に話して、疲れたのだ。
『お母さん…』
Gはぼんやりした頭で、いろいろなことを思い出していた。
お母さん…シルヴァと初めてあったときのこと。
結構楽しく暮らしていたときのこと。
…勘違い。
そう。
アレさえなかったら、今シルヴァは生きて彼女と共にいたかも知れないのだ。
『天使』は真実を、道を見る目があると…レスタトの御神託にはあった。
Gは真実を見極められなかった。
だからなんだか共通点があって気にはなったモノの、御神託の『天使』が自分であるとはどうしても思えないのだ。
夢を見ていた。
少女は覚醒しつつある意識の中で、その夢を思い出そうとしたけれど、どうもうまくいかなかった。
「…ようですね、殿下を」
落ち着いた感じの、男の声が、誰かに命令する。
そして誰かが立ち去る気配。
少女が目を開くと…褐色の髪に白髪の交じった、30歳代後半ぐらいの上品な顔立ちをした男性が、知的に見える切れ長の眼で彼女を見おろしていた。
「…だれ?」
少女は思ったままを、口にする。
(私…こんな声だったっけ?)
男はゆっくりとかがんで少女に視線を合わせると、柔らかく微笑んで名乗った。
「私は、メルデル・アールブラウ。
シルヴァ=ノースブラド殿下のご命令で、貴方に付き添っていました」
「あのっ…どうも」
少女は少し首を動かして会釈をした。
どうやら彼女はベッドに寝かされ、布団にくるまれているらしい。
「目が覚めたんだってー?」
バン、と両開きのドアが開いて(ドアの向こうはやはり部屋のようだった、ずいぶん広い部屋だ)畳まなければドアにドアに入りきらないような大きな白い翼を一対背に持った黒髪、翠眼の女性が(文字通り)飛んできた。
「…あ・あんた誰?」
少女はびっくりしてベッドからはいずりだし、邪険に翼を持った女性に向かって問いかけた。
「ボク、シルヴァ!」
よろしくー♪と、シルヴァは少女の手を勝手に握って握手を交わした。
「じゃあ、キミは?」
にこにことシルヴァが問いかける。
むっとして少女は怒鳴った。
「そんなの知るわけないだろぉ!こっちが聞きたいくらいだよ!」
シルヴァもさすがにむっとしたように素手で少女の頭をポカリと殴る。
「生意気っ!」
「痛いなっ!羽根女!!」
「キミだって羽根女だろーが!羽根ジャリ!!」
「私のどこに羽根があんの、眼ぇついてんの、アァン!?」
「…」
シルヴァ、少女の言葉に絶句する。
「で?さっさと話しくれない?…私はどこの誰なの!」
大いばりでとんでもない問いかけをする少女にシルヴァはぷーっと吹きだした。
「ぷーっ…わっはっはっはっはっははは…」
「なんだよ(怒)」
「キミさ、アレだよ…え〜と、記憶喪失。ショックとかで自分のこと忘れちゃう事。
キミ拾ったとき、頭におっきな傷があったから、それでじゃないかなぁ。
あー…笑ってごめんね、でも、キミがあんまり天然ボケなこと言うからさー。
普通は『私は誰!?』とかって自分で不安になるもんなんだよー?
それを……わっはっはっはっはっはっは!!」
「…で、彼女をどうなさるおつもりですか?」
割って入ったのはメルデルと名乗った男性だった。
やんわりと、でも射抜くような目つきでシルヴァの馬鹿笑いを止める。
「大司教をお呼びしましょうか?」
「いや、ガルウィンドに気づかれたくないからね、よしとく。
そのうち元に戻るよ、きっと。
…そうだなぁ、じゃあ、それまでキミは私の娘ね」
「え?」
少女は自分のことか?と目を見開いた。
目の前の羽根女…シルヴァは確かに(自分の顔は見えないものの、躰で判断すると、だ)自分より年上そうに見える。
だが、母と娘、というほどにはかわらないようだ。
何故彼女はわざわざ『母』と…。
「なんか思い出すまでしばらくここで暮らしてもらうから。
そしたら、保護者がいないと困るでしょ?
ほぉーら、『お母さん』って言ってごらん♪」
完全に楽しんでいる声だった。
「…人の不幸を楽しんでっ…」
でも、少女にはシルヴァの言うことを聞く以外にどうしようもないような気がする。
話のわかりそうなメルデルも、どうやらシルヴァより身分が低いようだ。
「んじゃ、ボクは仕事に戻るね、ここボクの部屋だから夜には帰ってくるよ〜」
来たときと同じようにぱたぱたと羽根を動かしながら、その動きにはお構いなしの不自然さで、すいーっとシルヴァは飛んでいった。
それからが、大変だった。
少女にはここがどこだかも、自分が誰であるかすら、判らなかった。
不安にならないと言ったら嘘になるが、それはシルヴァがしょっちゅうやってきては彼女をからかってゆくのでそれについてはずいぶん気が紛れていた。
それよりも、ここ、ガラナークでの生活習慣を覚えるほうが、彼女にとってはよっぽど大変だったのだ。
ガラナークは温泉が豊富に湧く。
したがって、どこの家庭でも(と、いうわけにはいかないが)普通に行われているはずの入浴なのだが、彼女にはそれが苦痛だった。
彼女は冷たい水での行水で、しかも短時間を好んだ。
ガラナークは日中でもあまり陽が差さない。
しかも建物は秋からははじまる寒さをしのぐために隙間無い石造りでまともな大きさの窓はそう無い。
少女は魔法の明かりに照らされた部屋はともかく、廊下が暗いのにも少女は慣れなければならなかった。
これが苦労した。
シルヴァが言うには、彼女はもともと『鷹人』という獣人と呼ばれる人間とは違う種族で、だからいわゆる夜目が利かないのだろうと話したが、少女にとっては、まったくもって不愉快なことだ。
外見どう見ても彼女の方が鳥人間ではないかと思われるシルヴァは闇の中でもすいすい飛ぶのだからそれもいたしかたない。
シルヴァの羽根は魔法で出来たまがい物だと聞いても、自分だけ皆と違うと言われてどうにも納得がいかなかった。
皆…少女にとっての世界は、シルヴァと、シルヴァに呼びつけられてくるメルデル、それと彼に忠実な幾人かの侍女と…時々少女の目に映る、青白い顔の住人だけだったのだが。
窓から外を見せてもらったことはある。
やたらと冷たい…ぴりぴりと肌を刺すような空気。
赤い石造りのたくさんの建物、時計台、広場…ずっと下の方にはなんだか、彼女の住んでいる“お城”と同じような建物があった。
「あ?アレ、お城。
あっちにはタ…王様…とか、そういう人たちが住んでるんだ。
ここは旧城でね、ボクとメルデルと数人の侍女さん、あとはキミ以外誰も使ってないよ」
よくは判らなかった。
あとで、メルデルが来たときに質問して、少女もちゃんと理解したのだが、どうやらシルヴァは現在の王様の“伯母上”にあたるひとらしい。
でも、少女に与えられた歴史の本では今の王様はシルヴァより年上で…その質問に関しては、メルデルは苦笑しただけだった。
しかも、シルヴァはこの国の騎士団の一つ”青色騎士団”の一番偉い人で、聖騎士で、剣の腕もかなりたつそうだ。
「信じらんない!何であんなちゃらんぽらんなヤツが、偉い人なの!?」
「…この城の外では、あの方もああではないからですよ」
少女の問いにメルデルはそう答えたが、少女は納得しなかった。
しょっちゅうのおねだりに時間を費やされては教育の効率が落ちる、ということで仕方なく…本当に仕方なく…その割にはシルヴァに何も知らせずに(笑)メルデルは少女を城の外へ連れだし、シルヴァの『普段』を見せた。
別人。
それが少女の抱いた感想だった。
きびきびとして、浮いたところなど一つもなく、地に足をつけて歩いている。
話を聞いていると自称までいつもの『ボク』から『私』になっている。
何よりも、その躰中から威厳と神々しさがあふれている。
「あれ、シルヴァじゃない」
「…」
少女は傍らのメルデルを見た。
眼が。
まっすぐにシルヴァの姿を捕らえていた。
それがあまりにも真摯で…少女は言葉を失った。
(え、嘘、メルデルってシルヴァのこと…?)
ふ、っと、その視線が昏さを帯びる。
シルヴァに誰かが近づいてきたところだった。
「“アレ”が、殿下の夫、聖騎士のウィリアム=ヴァロヴァルクス将軍ですよ」
「だ、だんな?」
ウィリアム=ヴァロヴァルクス将軍と呼ばれた男。
鎧の面ぼう…道化のような、凝った細工のもの…で顔は判らないが、体格のよい男だった。
銀の鎧を身に纏い、何とも大きな両手剣を帯びている。
しなやかな身のこなし、そのたたずまい…聖騎士と呼ぶにふさわしい男だった。
「…」
(あの人絶対シルヴァにだまされてるっ!)
少女はわけもわからずむっとして、将軍にシルヴァが普段、自分の前でどんな風なのか注進にでようとした。
…が。
将軍と穏やかに立ち話をして去り際の…シルヴァの、顔。
ふっと…苦々しげに…口の端をあげて笑ったのだ。
少女の眼にはそれが…将軍の存在を否定するもののように、見えた。
「シルヴァ!あんたは将軍とメルデルとどっち選ぶの!?」
「は?」
少女の問いに城から旧城に帰還したシルヴァはあんぐりと口を開けた。
「…だからぁ(怒)」
少女はいらいらと言葉を選んでいた。
多分、ずいぶんと言いたいのを我慢していたんだろうな、とシルヴァは推測した。
そして、多分今日城の外に出たことも。
「ボク、城からでないよーにって、言ったよね?
…ってキミに言ってもしょーがないか…メルデルに言っておかなきゃね。
ところで、お母さんって呼べっていつも言ってるでしょ?」
「ごまかさないでよ!メルデルは関係ないでしょ!?」
「最初に自分がなんて言ったか覚えてる?(笑)」
「んなの知らない!メルデルがかわいそうだよ!なんで将軍があんたの旦那なの!?」
「はぁ〜ああぁあ?」
…シルヴァはちょっと考えて、ぽん、っと手を打った。
「ああ、な〜るほど、わかったわかった、んじゃあこっちおいで」
シルヴァは少女の髪を引っ張ると無造作につり上げた。
「いっったーーーーーーーーーーーーーーーいっ」
「おしおき」
そのまますいーっと別の部屋へ連れて行かれる。
髪を握られた少女は為す術もなく、綱を握られた子犬のようにシルヴァに付き従った。
その部屋。
簡素、だった。
小さめのベッド、がっしりとした大きめの…やたらと収納の多い机、ビロードばりの椅子、小さいチェスト、パーテーション…家具おわり。
その家具総てに薄布がかけられていて、その上に埃が積もっている事を差し引いても、少女の部屋は、ここに比べればお姫様の部屋のように豪華に見える。
その部屋の壁に掛かった…大きな肖像画。
「シルヴァじゃん…あれ…色、変だけど」
そこに描かれた人物は背中の翼こそ無いものの、昼間に城で見たシルヴァそのものだった。
威厳、そのたたずまい…、王者然とした姿。
ただ一つ違うのは、シルヴァの漆黒の髪が輝くような金色に、エメラルドの緑色の瞳が矢車菊の蒼に塗られ、降ろしている髪は後ろできっちりと結われているということだけだ。
「違うよ。
これはボクの双子の妹、ガラナーク前王ヴィンデーミアートリクス=ノースブラド…通称ミア。
メルデルがボクのこと変な目で見てたって言いたいんでしょ?だったらそれは、ボクじゃなくて彼女を見てたんだよ」
あっさりと、シルヴァは言った。
少女は考える。
(でも…いくらそっくりだっていっても、別の人は別の人だよ。
あんな…眼で、見ることが出来るもんなのかな?
あれは、シルヴァに誰かを重ねてみる眼じゃなかった。
シルヴァ本人を、見てた)
「…ボクが愛してるのはガルウィンドだけだしね」
「え?」
シルヴァの夫…銀騎士筆頭の将軍…は、ウィリアム=R=ヴァロヴァルクス。
ガルウィンド…その名前はどこかで一度聞いたこともあるような気がするが、少なくとも、彼女の夫である男ではない。
「…シルヴァって意外と…ショーがないヤツなんだね」
「なにそれ、生意気な口聞くならさ、お母さんって呼んでよ」
少女の怒りはどこへとすっ飛んでいったようだった。
「なにそれ」
少女はあからさまに不機嫌な顔をした。
「だから、“G”だってば」
アルファベットの1文字を小さなコドモに教えるように、シルヴァは少女の眼前の空中に“G”の字をゆーっくり書いた。
「それって人の名前なわけ!?」
「『「ジー」って云う音は結構綺麗な響きだし、ナニより身長2倍になったり「俺の後ろに立つな」だったり赤破天驚拳だったり波乱万丈じゃないか』って、ガルウィンドが決めてくれたんだよ♪ボクもそう思うよー良い名前じゃない?」
ほっぺたを真っ赤にしてニコニコとシルヴァが言う。
犬のしっぽのようにぱたぱたと動く羽根がなんだか少女のしゃくに障った。
「シルヴァって、何でもかんでも“ガルウィンド”じゃん…あんまりべたべたしてると、そのうち嫌われるよ?」
『そんなコトあるわけないじゃん』と。
そう言うと思ったシルヴァは、ちょっと困った素振りで「そうだね」と小さくつぶやいた。
少女はさすがに『言ってはならないこと』に触れたのだと直感し、「でも、ヘンだけど…変わってて…良い名前だよね」とそっぽを向いたまま言ってみた。
「でしょー!?ボクの名前もね、ガルウィンドが決めてくれたんだ♪」
シルヴァが笑うから。
少女の名前は”G”になった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『私がヘンな勘違いさえしなかったら』
どうしても、そう思う。
たとえ事実が、あの『若く荘厳な銀騎士筆頭でガラナーク将軍のウィリアム=R=ヴァロヴァルクス』と、『下品な歌が大好きでロマンチストでそのくせ我が侭な、シルヴァを育てた乞食詩人騎士ガルウィンド』が同一人物だという予想だにしないモノであったとしても、だ。
『ううん、それよりも』
シルヴァには何処にも行って欲しくなかった。
Gには他に行くところなんか無かった。だから、そばにいて欲しかった。
自分では邪魔にしかならないと知っていたから、シルヴァの行くどこかへ一緒に行きたいとは言えなかった。
結局、その居場所自体を自分で壊してしまったのだけれど。
ラクリマを見る。
薬草の話を聞いて…きっとみんなのために役立てるのだろう。
自分はなにができるだろうか?
今の居場所はとても心地良いから、もう壊すのは嫌だな、と思う。
『ジーさんがおかあさんを信じていれば、周りがなんと言おうが関係ない。それが真実でしょう?わたしはね、そう思う』
ヴァイオラの言葉。
信じてる。シルヴァが本当は戦うのが嫌いなことを、誰よりも知ってるつもりだから。
自分の信じることを、真実に出来るつよさが欲しいと思う。
「ヘルモークさんのこと、聞かせてください」
どうやら薬草講義が終わりそうだったので、キャスリーンさんに切り出した。
もしも、彼らが嫌ったとしても…自分は彼らを好きでいたいと思った。
(『Gdex』より ◆ 2002年初出)