憧れを思い出すにはいい時間だった。
燃えるような緑も、木々をわたる風も、涼しい葉ずれの音も、彼には何の意味もなさなかった。ただ待っていた。奴はここを通る。必ず。
後ろで彼の馬が首を左右に振った。従者が慌てて手綱をひく。その気配を背中で感じ取りながら、まだまだだと思った。馬は確かに貪欲な生き物だが、軍馬がこの程度の待機で食事を探し出すはずもない、馬のことをまだ何もわかっていないと断じた。邦へ帰ったら教育し直さねば。
だが彼が邦へ帰れるかどうかはわからなかった。彼は帰るつもりでいたが、相手は凶運に憑かれた人間だ、変に手強いかもしれない、技量で劣るとは思わないが、育ちが育ちゆえ卑怯な手を使ってこないとも限らない、そんなことを考えていると、声がした。
「お考えを改めていただけませんか。やはりこれは……」
声の主はすぐ脇に控える若い騎士見習いだった。さっきから口を開けばそればかりだ。彼は彼を嫌いではなかった。真面目な男であるし、実力もある、決して出過ぎず物事をうまくとりまとめてくれる。だが、ひたむきさが足りないとずっと思っていた。最近の若い騎士見習いは(正騎士ですら)みんなそうだ。ひたむきさがない。邦に賭ける熱意や一途さがない。それを感じるたび、歯がゆくてたまらない。
あの若者の顔を思い出してまた胃がむかむかした。何もわかっていないくせにまるで自分が分別を備えた知恵者であるかのような口振り、ああいう奴腹にはろくな者がいない。姑息で自分のことしか考えない。自分のことしか考えないというのは、もちろんひたむきさなんかではないのだ。それも何もわからないくせに口だけは達者だった。
怒りとともに、彼は最前からの決意をさらに固めていった。後戻りはするまい。外聞やら騎士の面目やらがなんだというのだ。我々は主に仕える者、主君に奉仕してこその騎士ではないか。
だが彼にとっての主君は、ルルレイン=アンプールではなかった。
彼はかつてのライニスに思いを馳せた。
あの輝き。だれもが彼女によって騎士に叙されることを心から栄誉と感じ、彼女の元に志をもって参集した、あの時代。自分は彼女の手で騎士に叙された最後の世代だ。そのことを誇りに思わないときはなかった。だがどうだ、今ではその誇りすら理解しようとしない馬鹿者どもばかりになってしまった。
今のライニスは、ライニスではない。悲痛が彼の心を満たした。あの輝き、先代の邦のあのまばゆさ、あの活気を取り戻せるならば、何を捨てても惜しくはない。
だから、と、彼は確かめるように剣の柄に触った。失墜の原因は取り除かねばならない。どんな犠牲を払っても、我が身のすべてを失っても……。そうして排除すべき相手がやってくるのを、彼は一言も発することなく待ち続けた。
( 2005年12月初出)