□ ヴァイオラの徒然日記・抜粋3 □

 

460年7/9

 夜、思うところがあってラッキーを坊ちゃん塚に連れ出す。なんとなく、死ぬ気でいるんじゃないかと思って。カインもそれに気づいて、目で「頼む」と言っていた。相変わらずこういう事には聡い。

 最近泣かないな、とは思っていた。あまり良い兆候ではない。強くなれと諭していたのが裏目に出たような気がする。不安や恐れを見せると怒られるとでも思ったのか。それで感情の揺れを全部中に溜め込み始めたのか。

 ――それじゃあ全く意味がない。

 坊ちゃん塚に目をやる。半年前、ここで同じように話をした。あのときは「自分の足で立て、甘えるな」と突き放した。けれど……

 「まずは聞くね。ラッキーにはなんか言いたいことないの? 悩みとか、不安とか」

 今まではパシエンスの人達がいるからと思っていた。そういうのは彼らの役割だと。でも、さっきキャスリーン婆さんに相談しているのを立ち聞きして思った。本当は、いろんな事を誰にも言わず我慢していたのかもしれない。でも甘えるなと言われたから、わたし達には頼らないようにしているのかな、と。

 そう思ったんだけれど。ラッキーはきょとんとしていた。そんなことを聞かれて意外だ、というような表情。なんだろう、なぜか、話がうまく噛み合わない。

 ……それでもとにかく言っておかないといけない事がひとつ。

 それは、ハイブコアが最後と思うな、ということ。

 レスターを死なせた因縁のコア、しかも「夢見石」の迷宮だもの。何があってもおかしくない。だから覚悟を決めるのはいい。けれども、それだからといって、死んで当然だと、これで最後なんだと思って欲しくない。たとえあの時と同じ状況におかれても、一人だけ逃げ延びるくらいの気概を持って欲しいのだ。

 そう言ったら、またしてもラッキーは混乱した表情を見せた。同じ言葉を喋っているはずなのに、言っていることが全く通じない。さらに見当違いな「がんばります」発言をかまされ、わたしは脱力感に襲われた。

 

 なんで? どうして?

 

 初めて逢った頃のジーさんや、村長宅の鼠たちの方が意志の疎通をはかれるってどういうことよ。

 なんだか情けなくなって、力無く笑うわたしに焦ったようにラッキーが言った。「なるたけ怖がらないようにしますから」

 その途端、痛打を食らって膝が挫けそうになった。

 ほんの少しでも不安を、痛みを取り除きたかっただけなのに。全く相手にされない。まるで透明な厚い壁を挟んで相対しているかのように。どれほど手を伸ばしても、どんなに呼びかけても――

 

 わたしは、思い上がっていたのかな。今までわたしがしてきたことは、傲慢な独り善がりな押しつけでしかなかったのか……。

 とても、泣きたくなった。

 

 いっそ諦めようか、そう思った。でも、坊ちゃん塚を見遣り、それだけはできないと思う。レスターが死に逃げした時、ロッツ君がわたしを信じないで逃げ出したあの時、思い出すたびに苦いものが込み上げる。いまここで諦めたら、三度目の挫折を味わうことになるだろう。

 

 塚を見下ろし、また月を見上げ、ひとつ深呼吸。

 

 「わたしが今まで言ったことは全部忘れていい。ただ、ひとつだけ覚えておいて」

 せめて、なんでこんな話をしたのかだけはわかって欲しい。いまは届かないのだとしても、いつか伝わる日がくるかもしれない。だから、言うつもりも必要もなかった想いを口にした。

 「わたしは……ラッキーを、君たちみんなを愛しているよ」

 その途端、彼女は愕然として目を見開いた。愛されているなんて微塵も思っていなかった、という表情かお。それは、わたしのアイデンティティを真っ向から突き崩すに足るものだった。

 

 

 

 ――ああ、だからロッツ君はわたしを信じなかったんだ。

 

 
 
7/10

 夏の朝靄は消えるのが早い。あっという間に川面から照り返しがきた。光る影がゆらゆらと坊ちゃん塚を彩っている。わたしはすでに腰より高くなった塚に背を預け、投げ出された脚の間に目を落とした。……まったく予定外の墓参りだ。

 

 あのねぇ、坊ちゃん。君の傲慢な人を人とも思わない態度はいただけないし、死に逃げしたことは噴飯ものだけど。君という人を受け止めることもせずに、わからないなら仕方ないね、それは君の選んだ道だって――そんなことを当然のように考えていたわたしは、思い上がっていたのかもしれない。

 わたしは誰でも公正な扱いをするから、受け入れることができるから、あとは相手がそうしたいかどうかを選ぶだけ。その上で好きな奴とは仲良くし、嫌いな奴とはつき合わない。神さまみたいな誰でも一緒のつまんない公平さなんかじゃなく、相手の存在を肯定した上での人間らしい取捨選択。それがわたしという人間のもっとも基本的な、そしてもっとも誇れる在り方だった。そう信じていた。

 でもね、昨夜ラッキーと話していて思った。それはもしかすると、とんでもなく自分に甘い、それこそ独善の最たるものじゃなかろうか。

 君がああいう事になって、ロッツ君が逃げ出して、ラッキーとわたしは全く理解しあえてなくて――それをつらいと思うのは、きっと自業自得なのだろう。受け入れるだけで何もしなかった、その結果がこれなんだと思う。

 

 わたしは今まで自分が思うように生きてきた。そのことを恥じる気はないし、悔いることもない。

 ただ、もう少しだけ大人になれていたらと思う。

 

 

(『ヴァイオラの徒然日記』より ◆ 2003年11月初出)

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