核は主張と論拠

■自分の考えとは? 〜主張〜

 論文は「何らかの問題に対する自分の考えを述べる」場であると言いました。

 では、「自分の考え」って、なんでしょう? どんなものを「自分の考え」というのでしょう?

 たとえば、「コメの自由化について考えよ」という問題が出されたとします(これ、5年前はものすごくポピュラーなテーマだったんです(笑))。

学生A「コメの自由化はすべきだ」
学生B「コメの自由化をすべきではない」
学生C「コメの自由化は難しい問題だ」

 上の三人のうち、ひとりだけ「自分の考え」を述べていない人がいます。だれでしょう?
 そうです、学生Cですね。彼は、「問題だなぁ」とそれが「問題」であることを繰り返しているだけで、「自分の考え」を述べていません。
 「自分の考え」とは、ある主題に関して「どう(すべき)であると考えるか」です。これを『主張』といいます。

 このとき、間違っても「これからも考えていくべき問題である」などと書いて終わらせてはいけません。どんな表現であれ、「問題だなぁ」で終わっている場合、あなたは『主張』を持っていないと見なされるからです。

■考えの拠りどころ 〜論拠〜

 さて、「自分の考え」は『主張』だけではありません。もう少し見てみましょう。

学生A「コメの自由化はすべきだ。自由化によって農村票の保守政党への集中がなくなり、政治改革につながるから」
学生B「農村がかわいそうだ。コメの自由化はすべきではない」

 どうです? どちらの方が「自分の考えを論じよう」としていると思いますか?
 そうですね、学生Aの方が「自分の考え」をちゃんと論じています。学生Aが「こういう理由でこうすべきだ」と意見ないし自分の立場を述べているのに対して、学生Bはただ「かわいそうだ」と言っているだけです。なぜ「かわいそう」なのか、それがどのように悪いことなのかがこれでは全然わからず、結局なぜ「自由化すべきではない」と考えているのかがわからないようになっています。してみると、どちらが説得力があるかと言われれば、学生Aの方でしょう(これも別な節で説明しますが、説得力は「共感」とは異なります)。

 このように、「こう(すべき)である」という『主張』には、その拠りどころが必要です。拠りどころとはすなわち、「その主張通りにするとどんなメリットがあるのか」あるいは「どのように問題が解決に向かうのか」ということです。
 たとえば、家の鍵をなくした友達に、あなたは「家の鍵をつけかえるべきだ」と意見してあげるでしょう。なぜなら「そのなくした鍵を泥棒に悪用されるかもしれないから」。これが「鍵をつけかえるべき」というあなたの主張の拠りどころに相当します。

 拠りどころとなる「自分の考え」を『論拠』といいます。
 この『論拠』がないと、なぜあなたが「こうすべきである」と『主張』するのかわからず、結局「あなたの考えがどういうことなのかよくわかりません」ということ=「自分の考え」が不完全であることになります。

 それに、「こうすべきだー!!」と叫んでも、それが根拠のある意見でなければ他人を「説得」することはできないものです。
 たとえば、センター試験を廃止すべきだと考えている受験生が「廃止しろー!」と叫んでも、それだけでは周りから「ああ、受験で神経が参ってるのね」くらいにしか思ってもらえません。ですが、「センター試験は各大学の個性を奪い、したがって学生の個性を奪うものだ。そのような画一的な成人養成のために大学があるのではないはずだ!」と続けて叫んでごらんなさい。「なるほど、そうか」と賛成してくれる人が、受験生以外にも現れるかもしれないではありませんか。

■核となるモノ 〜主張と論拠〜

 論文を書くときに「核」となるのは、この『主張』と『論拠』です。この二つが論文のすべてで、あとは付け足しと言ってもいいくらい、最重要項目です。
 ある問題に対してあなたはどう(すべき)であると考えるのか、それはどんな根拠によるのか、この『主張』+『論拠』のセットを「自分の考え」として、必ず書くようにしましょう。
2002.4.7

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