3章の中表紙・ヒヴァの風景
3. いにしえのヒヴァ
06:30、起床。シャワーを浴びた。お湯がでないので水シャワーである。
大体の準備を済ませて、08:00から朝食だ。ヨーグルトジュースがとても美味しい。あとは、ゆで卵と固い肉と福神漬けみたいなのとミートパイとパン。ゆで卵とパイを食べる。パイは、餃子かピロシキを思わせるやつで、平たいパイ生地にひき肉とタマネギとがうっすら入っている。ちょっとしょっぱいけどおいしい。
08:30にバス出発。ヒヴァ【ХИВА…英語の綴りではKHIVA】まで25キロだそうだ。ウルゲンチ市内を抜けたら、一面の綿花畑だった。途中に一部リンゴ畑やトウモロコシ畑もあったが、ほとんどが綿畑だった。
09:00頃、ヒヴァに到着し、まずはカメラの使用料を支払う。バスを降りると目の前に土作りの、おもちゃのような門が見えた。おもちゃのような、というのは別にちゃちいとか子供っぽいとかいうことではなくて、現実感がないとか、「作りもの」のイメージが強いとかいうことである。アメリカのサンタフェでもそうだったが、どういうわけだかこういった泥の建造物を見ると「作りもの=実際に使用されないもの」というイメージが湧いてしまうのだ。ディズニーランドのお城のようなものだ。生活の場としての存在感を感じられないということだろうか。
中に入って、最初はちょっとガイドさんのそばにいたりもしたが、バスに集合する時間がわかったので勝手に自由行動に切り換える。
まずは4人で西門【ワロタ・アタ・ダルワザ】(ここから入ってきた)に一番近い建物、ムハマド・アミン・ハーンのメドレセを見る。建物の内部に入り、2階にのぼってみた。あちらこちらにゴミやほこりが散らばっている。ちょろちょろと探検していたのだが、あるバルコニーで下にいる地元のおじさんたちに発見され、ちょっと叱るか何か言われたようだった。言葉がわからない。でももしかすると本当はここは立入禁止なのかも、と思って中庭経由で急いで出た。日本へ帰ってからわかったことには、この建物は2階がホテルとして使われているのだそうだ。しかも「外人お断り」のホテルなんだそうだ。叱られるわけである。
この建物のすぐ隣にはミナレット・カリタ・ミナルという光塔が建っている。水色のタイルでおおわれていて美しい。だが、未完成のままなので高さが中途半端だ。これを建て始めた人が死んだあと、誰も続きをつくれなかったのだそうだ。この光塔は門の外からも見えており、ここ、ヒヴァの遺跡の目玉となっている様子。絵はがきにもよく使われている。
西門から東門へと通ずる大通りをカール・マルクス通りという(さすが旧ソ連)。その通りを東へと向かうと、すぐ先のところに駱駝がいた。「駱駝に乗って写真を撮らんかね」コーナーである。ワカメとローラがそこにハマッた。駱駝に乗りに行ってしまったのだ。あとから来るだろうと思い、1人で先に進む。でもまさかこのあと集合時間まで3人とお会いできなくなるとは、想像できなかった。<続く>
ヒヴァの風景
|