常体と敬体

■文章のかたち

 文章のかたちで、「です・ます」等で終わるものを「敬体」、「である・だ」等で終わるものを「常体」といいます。私がここで書いている文章は「敬体」ですね。

 まず第一に、論文であれ作文であれ、読みやすい文章を書くためには、常体と敬体を混ぜないようにするのがふつうです。具体的に見てみましょう。

原文
 大昔の絵は、子どもの絵や世界各地のいくつもの民族の絵と共通します。それは写生するのではなく、心の中に浮ぶ像(心象)を描く、という基本的な性格を共有するからです。「イメージ画」は、実際には小さなものを大きく表すこともでき、想像力・創造性を発揮できます。(佐原真、『大昔の美に想う』、p.53、新潮社、1999)

 上記は「敬体」で統一された文章です。きれいで読みやすいですね。

例1.
 大昔の絵は、子どもの絵や世界各地のいくつもの民族の絵と共通します。それは写生するのではなく、心の中に浮ぶ像(心象)を描く、という基本的な性格を共有するからだ。「イメージ画」は、実際には小さなものを大きく表すこともでき、想像力・創造性を発揮できます。

 「敬体」と「常体」を混ぜてみました。ちょっと不自然な感じがしませんか?

例2.
 大昔の絵は、子どもの絵や世界各地のいくつもの民族の絵と共通している。それは写生するのではなく、心の中に浮ぶ像(心象)を描く、という基本的な性格を共有するからだ。「イメージ画」は、実際には小さなものを大きく表すこともでき、想像力・創造性を発揮できる。

 「常体」で統一してみました。表現が硬くなってしまいましたが、例1のような不自然さはなくなりましたね。
 もちろん、筆力のある人は常体・敬体を混在させても読みやすい文章にしてしまいます。が、それはよほど書き慣れている人の場合ですし、論文の場合はほとんど通用しないので、皆さんは基本的にどちらかに統一するようにしてください。

 というところで、第二に、「論文」では「常体」しか使わないのがふつうです。
 なぜでしょうか?
 これは「敬体」で書くと、優しい雰囲気になり、かえって説得力が損なわれるからです。実際に例文を読み比べてみましょう。

例3.
 祝日をすべて三連休にするのはやめるべきです。なぜなら、三連休にこだわって月曜日ばかりを祝日にしてしまいますと、教育機関における月曜日の授業科目数が非常に少なくなって他の科目と釣り合いがとれなくなるからです。特に大学のような1コマ1コマが独立した単位制のカリキュラムの場合には、中学高校と違って「一週間のうちに複数コマある科目を充てる」という処方がとれないため、影響は甚大です。

例4.
 祝日をすべて三連休にするのはやめるべきである。なぜなら、三連休にこだわって月曜日ばかりを祝日にしてしまうと、教育機関における月曜日の授業科目数が非常に少なくなって他の科目と釣り合いがとれなくなるからだ。特に大学のような1コマ1コマが独立した単位制のカリキュラムの場合には、中学高校と違って「一週間のうちに複数コマある科目を充てる」という処方がとれないため、影響は甚大である。

 どうでしょうか? 例3の方が柔和な感じ、つまり、「断定的でない」感じが少ししませんか? そして、例4の方がかっちりと断定していて、「しっかり主張している」であるとか「この問題への着手は急務である」といった感じがしませんか? これも説得力に関わってくることなのです。

 そんなわけで、論文を書く場合には「常体」に統一することをお奨めします。「俺は敬体で論文を書くことに命を賭けているんだ」という方以外は、すべて「常体」で書きましょう。

2002.5.28

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