2005年11月の定例講座
北海岸に栄えた王国チムー
講師:坂井 正人山形大学助教授
2005年11月19日(土)
東京外国語大学本郷サテライトにて
チムー王国とその首都と考えられているチャンチャン遺跡について、研究史を中心にお話していただきました。
チムー王国についての研究は、その代表的なものとしてジョン・ロウの功績が挙げられます。彼は伝承をもとにチムーの王朝史をまとめ、信仰や儀礼、言語についても編集しました。
チャンチャン遺跡は、マイケル・モーズリーらによって地図化と発掘調査が行われました。チャンチャンには多くの倉庫と貴族の屋敷、神殿、10ヵ所の王宮が作られています。たくさんの倉庫はチムーの勢力範囲内にある地方センターと合わせて、チムーが物資のコントロールによって成り立っていたことを暗示しています。
チャンチャンの王宮内部、あるいはそれに隣接して王墓が築かれています。王の遺体はミイラとして保存され、親族たちによって世話をされていたようです。インカの親族集団パナカと同じように、勢力争いのようなものもあっただろうと見られています。
チャンチャンの王宮の編年は、アドベの形態変化によってなされています。王宮と王墓の配置について、編年に基づく建築順序、伝承、天体との関係について説明がありました。伝承に残されている王の名前は初代から3代目までと最後の王の4人で、アドベの形態変化が止まるのは3番目の王宮。そしてその王宮の配置が明るいアルファ星の線上にあることから、3代目の王が特に強い力を持っていた可能性があるとのことです。
このほかチムーについての研究として、チムーとインカを比較しようとしたものや、遺跡の配置と双分制との関係を見出そうとしたもの、遺跡からチムーの人々の気候への対応を考えたものなどが挙げられますが、モチェやインカの研究に比べると、チムーの研究は少し遅れているようです。
伝承では、チムーには10人の王がいたと伝えられています。しかしチムーはおよそ500年の間存続しており、王一人あたりの在位が50年前後というのは長すぎます。実際には10人以上の王がおり、勢力争いで敗れた王の墓は破壊され、王宮も改築されて王朝史の中から消されてしまった可能性があります。地上に見えていない王宮については、今後の発掘調査によって確認する必要があるとのことです。
次回12月17日(土)は関雄二国立民族学博物館教授による
インカ帝国の研究史
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