2005年12月の定例講座
インカ帝国の研究史
講師:関 雄二 国立民族学博物館教授
2005年12月17日(土)
東京外国語大学本郷サテライトにて
「帝国」ばやりの昨今、インカの帝国像がいかに形成されたかを再構成し、また、その実態が
かつて「古代帝国」と呼ばれた国々とどう違うのか、あるいは同じなのかを比較してみることで、
インカが「帝国」と呼ばれるゆえんを解明できるのではないかという視点からの研究史の講義
でした。
インカ帝国の研究史は、基本的には文献主体の研究が中心であったことが判ります。その文献
とは征服後、スペインが書き残した50余りの記録文書・年代記、いわゆるクロニカで、その
分析を主体にインカ帝国像が作られてきたようです。
征服初期にスペイン系の征服者によって書かれた文献には、対象社会を深く理解しないうちに
書いた印象記的なもの、自分の手柄を書き連ねたものが多かったといいます。また、少し時代が
進み16世紀後半になると、スペイン王室が植民地政策の正当性を主張するため、インカの統治を
欠陥の多いものとしたり、あるいはカトリック教会が公式布教記録として、宣教の妥当性を記して
おり、かなりインカを否定的、批判的にとらえた文書が多かったことに注意を要するとのことで
した。
一方、16世紀末になるとスペイン語教育を受けた先住民が自分達の先祖について書くように
なりましたが、インカの時代に生きた人たちの話はもはや聞けず、また、スペイン語の習得を
通じてキリスト教的な見解が入り込んでおり、そのまま鵜呑みにはし難いとのことでした。
これら歴史古文書を読み解く際の留意点が明らかにされ、また近代に始まったインカ考古
学者の主な実績とその調査研究の特質なども明らかにされました。単なる研究史の羅列では
なく、遺された記録、クロニカの主要執筆者の素性や立場などから、史料をどう解釈するか、
いかにその背景を読み取るかなど、調査研究の方法を垣間見ることが出来て、大変興味深い
講義でした。
次回1月21日(土)は八杉佳穂国立民族博物館教授による
マヤ征服史
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