2006年1月の定例講座
マヤ征服史
講師:八杉佳穂 国立民族博物館教授
2006年1月21日(土)
東京外国語大学本郷サテライトにて
八杉佳穂先生は、『マヤ興亡』、『マヤ文字を解く』、『マヤ文字を書いてみよう読んでみよう』等の図書を執筆、わが国のマヤ言語学研究の第一人者ですが、今回は10年前に出版のため書きためられた厖大な「マヤ征服史」の原稿の中から要点をご説明頂きました。
スペインは1521年にメキシコ高原のアステカ帝国を滅ぼした後、マヤ征服に着手しました。その時期、後古典期終末期にはマヤ文明はほとんど衰退していて、ユカタン半島の最後の王国マヤパンも滅亡し、16の小国家に分かれていました。一方、グアテマラ高地では、キチュ、カクチケル等のイツァ族が森林の中で辛うじて繁栄していました。
講義は、1502年に始まったスペイン人とマヤ民族の出会いから始まり、グアテマラ高地(1524年 指揮官アルバラード)、チアパス地方(1524年 指揮官ルイス・マリン)、ユカタン半島(1542年 指揮官モンテホ親子)、タバスコ地方、ホンジュラス(1524年 指揮官オリッド)、ベリーズ、イツア族(1697年 指揮官ウルスア)等、各地のマヤ民族征服史についてでしたが、多様な地域差、敵対するマヤの各民族の巧みな利用、征服隊の指揮官の性格などによって、さまざまな征服の形式がありました。さらに征服後も、度重なるスペイン圧政に苦しむマヤ民族は、各地で反乱を起こし、反乱は19世紀まで続きました。
日本でもマヤ文明についての単行図書は数多くあり、その中にはマヤ征服史に関する部分的な記述も少なくありませんが、マヤ征服史のみを主題にし、詳述した本はあまりないようです。せっかくまとめられたこの労作が出版されることを、切に願わずにいられない、興味深い講義でした。
次回2月18日(土)は寺崎秀一郎早稲田大学助教授による
南東マヤ地域における地方センターの成立(予察)
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