古代のアンデス文明およびマヤ文明を研究する同好会

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2007年1月の講師
伊藤伸幸 名古屋大学助手

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2007年1月の定例講座

アメリカにおけるオルメカ研究の最前線
講師:伊藤伸幸 名古屋大学助手

2007年1月28日(日)
東京外国語大学本郷サテライトにて


 19世紀後半、メキシコのメルガ氏により、巨石人頭像が発見され、1930年代、調査研究が盛んになった頃、ベイラント氏により「オルメカ(ゴムの地の人)」と名付けられたそうです。「オルメカ文化」の定義には諸説ありますが、伊藤先生は、「先古典期前期から中期(BC1200〜BC400)にかけて、メキシコ湾岸に存在した文化」が「オルメカ文化」であるとの見解をお持ちです。

 オルメカ文化の特徴はまず、巨石人頭像で、これは人の身長ぐらいの大きさの頭のみの石彫で、ベラクルス南部とタバスコ州から発見されています。どれも写実的で二つと同じ顔はなく、ヘルメット状の飾りをかぶり、耳当てをしているため、有名な球技者の顔を描いたもの、あるいは、どれもしっかりした個性的な顔立ちで、口はきりっと堅く閉じていることから、支配者の顔を模したものではないかと言われています。また、頭の模様から部族の守護神を象徴し、各集団の出自を表しているのではないか。なぜ頭だけなのかという疑問には、先古典期に見られる人身犠牲の為の頭切りか、あるいは石で偶像を作りそれを儀礼的に捧げたということもあるかも知れません。しかし、不明であり謎であります。

 後頭部が平らなのは、建物に寄りかからせる為だとも考えられますが、当時でも"リサイクル"が行われ、儀礼的な石彫殺しの後、テーブル状の祭壇の石板を再利用して、新しい人頭像を作った、顔が角張っているのもそのためらしい。また、町のはずれの境界線に置き、入口で睨みを利かせ、権力を誇示していたらしいとの事です。二つ目の特徴は、オルメカは自然沼沢地に囲まれ、肥沃な地の利を活かし農業が盛んであったということです。先古典期前期に既に栽培植物が存在し、漁撈も行われていたようです。川が運んできた肥沃な土壌を盛り上げ、人工的にテラス状のピラミッドを作り、上部に聖なる神殿を置き、下部で農耕を行っていました。そのため、土製建造物も多く、また土木技術も発達していました。

 さらに、もう一つの特徴は、ジャガー信仰が強く、ジャガーに関する遺構遺物が多く発見されていることです。ジャガーも蛇も支配者・王権あるいは農耕に関連し崇拝されていたのでしょう。

 マヤよりオルメカのほうが古い!文字起源はオルメカかオアハカか? メソ・アメリカ南東部・太平洋岸の「モカヤ文化」がオルメカの祖先か? そうだとすると、どのようにメキシコ中央部を経て、メキシコ西部の海岸部に達しオルメカ文化が開花したか? あのような巨石をどこから、どう運んだのか、ゲレロ州ほかで見られるオルメカ美術様式はどのように影響されたか? 等々たいへん興味深く、かつロマンを掻き立てる謎に満ちた講義でした。

 伊藤先生は2月1日に再度発掘調査に向かわれる由、帰国後これらの謎が解けるか、報告を楽しみにしています。

次回2007年2月17日(土)は大越翼先生(上智大学教授)による
後古典期マヤ北部低地における王権をめぐって


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