2007年3月の定例講座
古典期マヤ文明の衰退
講師:青山和夫 茨城大学人文学部教授
2007年3月17日(土)
東京外国語大学本郷サテライトにて
マヤ低地南部の多くの都市が、古典期終末期(AD800年〜1000年)に放棄されたことはよく知られています。昔は、これを突然で、謎の「マヤ文明の崩壊(collapse)」と呼んでいましたが、資料に示されたように、実際には、100年から200年掛けての長期間にわたる「マヤ文明の衰退(decline)」であることが分かってきました。また、「失われた文明・滅びた文明」と言う表現がよくなされますが、低地南部では部分的に文明が衰退したものの、その時期、マヤ低地北部では文明が興隆潮に達しており、文明が継続されていました。現在でも、800万人の人口を持つマヤ人が居住していて、30種に及ぶマヤ諸語を話しており、マヤは「現在進行形の文化」であり、決して「失われた文明」ではないことを力説されました。
講義の内容は、衰退する前の、古典期後期(AD600年〜800年)におけるマヤ低地南部の各都市衰退にいたる迄の状況を分析し、古典期終末期(AD800年〜1000年)でのマヤ文明の衰退が、どのような性格を持っていたのかの説明があり、続いて現在までに指摘されている代表的な9項目の衰退原因の各項目についての検討がなされましたが、この内、当時の「長期間の旱魃」、「人口の増大による環境破壊」、「戦争」の3項目が、有力な衰退原因であると指摘がありました。また、マヤ古典期低地南部のティカル王朝、ドス・ピラス=アグアテカ王朝、コパン王朝(この2遺跡は先生が実際に発掘調査された)の歴史と衰退の実例説明がありました。
最後に、マヤ文明衰退の歴史研究で、数千年に亘る彼等の失敗や成功の実例を学ぶことが、現在の環境破壊、戦争・テロ、食糧難などで悩む、今日的課題のささやかな解決糸口でもあるとのことで、1000年後の人類が、現人類の「地球規模の持続」を継続するための行動をどう評価するかが課題であるとの貴重なご指摘がありました。
恒例によって先生の講義の遺跡写真の所々には、愛するご家族のプロフィールが写されており、御成長の様子を拝見し、いつもながらご同慶の至りであります、先生の今後のご活躍をお祈りします。
次回2007年4月21日(土)は関雄二先生(国立民族学博物館教授)による
ペルー北部カハマルカ盆地の形成期における遺跡分布の変化と生態環境
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