2007年5月の定例講座
アンデス文明形成期の展開
―クントゥル・ワシ神殿遺跡の研究成果から―
講師:加藤泰建 埼玉大学教授
2007年5月19日(土)
東京外国語大学本郷サテライトにて
クントゥル・ワシ神殿遺跡は、ペルー北部アンデス山脈の西側斜面、標高2300mの山中にあります。1946年、そこで不思議な石彫が確認されるものの本格的な学術調査は進められず、1980年代にあらためて研究者の関心が形成期神殿に向けられるようになりました。
今回は、日本学術調査隊が1988年に発掘調査を開始し、2002年に終了するまでの研究の成果をまとめてお話いただきました。
北部ペルーでは形成期中・後期を中心に広域神殿を核とする社会が顕著な発展を遂げます。
・形成期中期(前1250−前800)
神殿を中心とする社会統合が行われ、地域機能の中心が神殿でした(地域密着型神殿)。
・形成期後期T(前800−前550)
広域な資源を利用した地方連携型神殿が海岸と山の地方の相互交流を促進し、大規模な広域型神殿へと発展します。クントゥル・ワシ
遺跡はこの時期に建立・発展した神殿で、その特徴は、大基壇とテラス、広場、水路網をもつことです。さらに発掘により神殿の下から墓が現れたことは、これまでの考えを覆す大きなことであり、埋葬は基壇を造る際の儀式に結びつくものと考えられます。金製品を始めとする副葬品の様相にも特徴があり、金製品は出土ごとに異なる時代の物であること、装飾品には北海岸には生息しない貝やその地では産出しない石が使われていました(広域型神殿)。
・形成期後期U(前550−前250)
社会は大きく動き、神殿を中心とする活動はもっとも活発になります。しかし、やがて神殿の機能が弱まり、次第にその重要性が失われていきます(地方適応型神殿)。
・ 形成期末期(前250−前50)
神殿を中心とした社会の発展が限界となり、神殿は放棄されます(非神殿型社会)。
その後国家の成立まで長い空白の時を待たねばならず、神殿を中心とした社会発展は後の国家社会の成立には連続しなかったのです。
次回2007年6月16日(土)は鶴見英成先生(日本学術振興会特別研究員)による
中流域のアンデス形成期:海と山の間で見えてきたこと
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