古代のアンデス文明およびマヤ文明を研究する同好会

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2007年6月の講師
鶴見英成 日本学術振興会特別研究員

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2007年6月の定例講座

中流域のアンデス形成期:海と山の間で見えてきたこと
講師:鶴見英成 日本学術振興会特別研究員

2007年6月16日(土)
東京外国語大学本郷サテライトにて


 ペルー北部ヘケテペケ川の上流域には、黄金副葬品で有名なクントゥル・ワシ遺跡があり、その下流域にはクピスニケ文化で有名なリモンカルロ遺跡等がありますが、その中流域にどのような形成期社会があったのか良く分かっていませんでした。中流域のアマカス平原周辺には多数の神殿が密集していますが、1985年に平原の南にダムが建設され、多くの神殿が水没しました。ダムが建設される前に、ドイツ調査隊が、代表的な遺跡の1つであるモンテグランデ遺跡の発掘を行い、更にペルー文化庁がこの水没地域周辺の遺跡分布図の作製と遺跡発掘をしましたが、総合的で、充分な検討がなされませんでした。

 先生は、ヘケテペケ川中流域の形成期社会を解明するため、2003年から3年間に亘って、中流域の代表的なアマカス平原遺跡群のラス・ワカス遺跡、レチューサス遺跡、周辺遺跡群(13.17遺跡、10.2遺跡等を含む)を発掘調査しました。ラス・ワカス遺跡は、モンテグランデ遺跡より後に造られ、発掘された土器から形成期前期のアマカス1,2期と中期のテンブラデーラ1,2期に分かれ、神殿が数回更新されていること、住居祉から、形成期中期には、神官が神殿近くに住んで、一般住民はマニオク、トウモロコシの普及に伴い、谷底の農耕地に居住したこと等が分かりました。更に南東5kmの所に建てられたレチューサス遺跡は、前期からの土器も発掘されますが、ラス・ワカス遺跡が抛棄された後のレチューサス期に、拡大されて大神殿になりました。

 アマカス平原周辺の遺跡群は、形成期前期には西側を中心にモンテグランデ遺跡等がありましたが、中期になると東側のラス・ワカス遺跡に移り、後期になると更に東側のレチューサス遺跡に移ります。この理由としては、最近の事例からもエルニーニョ現象が考えられ、洪水の被害が多い平坦な西側の斜面を避けて、次第に急峻な段丘地帯である東側に移動したと考えられます。更に各神殿には中空(中は儀礼場)や非中空の塔状墳墓が見られますが、神殿を抛棄する場合には、儀礼的に塔状墳墓を建立してから、前の神殿が見える場所に次の神殿を建てる、中流域独自の習慣があったようです。

 中流域の形成期の岩絵は平原から谷間沿いに東西南北に移動する道筋にあります。アマカス平原の周辺地域にはすでに先土器時代から居住がありましたが、形成期の住民もこれらの岩絵を目印にしてルートを通り、山間の動植物や海産物(鰯、貝類など)を入手していたことが分かります。土器からマニオク炭化物等も発見され、近くのエクアドルから土器やマニオクが輸入され、形成期の人々が中流域に定住するようになったと考えられます。

次回2007年10月20日(土)は坂井正人先生(山形大学准教授)による
インカ帝国最後の都ビルカバンバの景観


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