2008年4月の定例講座
アンデスのミイラ
講師:関 雄二 国立民族学博物館教授
2008年4月19日(土)
東京外国語大学本郷サテライトにて
今回は「アンデスのミイラ」と題して、アンデスのミイラの種類や歴史についてお話しがありました。また、ペルーで購入された、ビデオの「フアニータ(中身はフアニータに関係がない)」を見せて戴きました。
ミイラの種類には、自然に作製されたミイラ、自然条件を意図的に利用したミイラ、人工的なミイラがありますが、人工的な例として、ナスカでは戦勝首級を腰にぶら下げ、インカでは王様のミイラを作り、これを生きている人間のように取り扱いました。
ミイラの歴史は古く、現在確認されている最古のミイラは、BC7000年頃のチリ北部の「チンチョーロ文化」のものです。内臓を取り出し、顔に仮面を被せ、身体が木の棒で支えられていました。リマから南に150kmのパラカス海岸のネクロポリスでは、パラカス文化の形成期後期から地方発展期にあたる「集合墓(追葬される)」から、沢山のミイラがペルー人考古学者テーヨによって発見されました。地上絵で有名なナスカ地方では、地方発展期のミイラがやはり集合墓から発見されましたが、脳を取り出し、額に穴をあけて紐を通して腰にぶら下げた戦勝首級のミイラもありました。
インカ時代には、ワマン・ポーマの絵や、記録文書にあるように、王のミイラは、パナカという王の親族集団によって、生きている人間の如く取り扱われ、食事や酒が捧げられ、またミイラ同士がお互いに訪問し合うなど、インカ帝国の支配原理として重要な役割を果たしました。
征服以降も死者との絆は強く残り、教会の墓地に埋葬した死体を掘り出して、旧来の墓地に埋葬し直す事例もありました。やがて、キリスト教の浸透とともに、こうした関係は崩れていき、ミイラには異教のシンボルとして邪悪な性格が付与されるようになります。
次回2008年5月17日(土)は鵜沢 和宏 東亜大学准教授による
骨と図像 ― 動物から読み解く古代アンデス
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