2009年4月の定例講座
チャビン問題再考―最近の研究動向― 講師:関 雄二(国立民族学博物館教授)
2009年4月18日(土) 東京外国語大学本郷サテライトにて
世界遺産にも登録されているチャビン・デ・ワンタル遺跡は、これまでさまざまな研究者が調査を重ね、解釈を展開してきました。フーリオ・C・テーヨは、1934年と1940年に実施し、チャビンをアンデス文明最初の祭祀センターととらえ、創造神を祭ったと考えました。また、3段階の増築過程を見抜いていました。ジョン・ロウは、神殿全体を対象に3段階説を主張し、これに石彫の様式編年を組み合わせました。ルイス・ルンブレラスとエルナン・アマットは1966〜72年に発掘を行い、円形半地下式広場を発見し、オフレンダス回廊やロカス回廊を見つけ、そこから出土した土器を基に、建築や石彫様式に頼らない編年や放射性炭素年代を初めて提示しました。リチャード・バーガーは、周辺部の小規模発掘を実施し、3時期を確認するとともに、ロウのいう神殿の3時期説に連動させました。チャビンを各地のセンターの諸文化要素が集合したセンターとしてとらえるとともに、最後のハナバリウ期に再びアンデス全体に影響を与えたとしました。ジョン・リックは神殿自体を対象にした大規模な調査を実施し、(1)立地、(2)正確な平面、立面図の作成、(3)建築過程の新仮説モデル、(4)建築の配置や中心軸の確認、(5)編年:前1200〜前500年と想定、と確認しました。リックはチャビン遺跡を、巡礼者が訪れる宗教的トレーニングセンターと位置づけ、競合的ネットワークの存在を示唆し、終焉に関しては、宗教的な権威への過度の依存に由来する社会発展の限界を考えました。これは興味深い解釈ですが、あまりにもチャビン中心主義です。各センターに図像を除けば、回廊儀礼や土器などチャビン特有の要素が見られないことも説明できず、また宗教面に注目しすぎで、経済面が不明です。これからの更なる研究が望まれます。
次回2009年5月16日(土)は渡部森哉先生(南山大学講師)による
ワリ興亡 ― ペルー北部の事例から |