2009年5月の定例講座
ワリ興亡―ペルー北部の事例より― 講師:渡部 森哉(南山大学講師)
2009年5月16日(土) 東京外国語大学本郷サテライトにて
カハマルカ県を事例としてワリ興亡について講義した。
エル・パラシオ遺跡はコルギディン遺跡の麓にあり、大部分は地表下にある。ワリの土器はこの遺跡周辺のみから出土する。この遺跡はインカ期の行政センターと類似した機能を備えていたと考えられる。出土土器のうち、9割以上はカハマルカ文化のものであるが、ワリ様式土器、ティワナクのスプーン、ペルー北海岸の土器、海岸カハマルカと呼ばれる土器もある。大量の獣骨も出土した。
ワリとインカは類似しているが、相違点もある。例えば土器はインカの行政センターで大量に出るがワリでは限定的である。また埋葬形態・図像にも違いがある。インカはミイラ製作を行うが王の墓や図像はない。一方ワリでは地下墓室と4つの突起のある帽子をかぶった人物の図像がある。
ワリの北端(カハマルカ)と南端(モケグア、クスコ?)でワリとティワナクは共存、競合したのであろうか。A.D700年頃にワマチュコのビラコチャパンパが放棄され、その後カハマルカでエル・パラシオの建設が活発化したと考えられているが、これはワリが南のモチェではなく、北のモチェを初めに征服するという戦略の変更に伴うのではないか。
アンデス研究ではインカをモデルとして「アンデス的なるモノ・コト(lo andino)」が想定され、過去に投影されることがしばしばあるが、そうした文化的連続性を検討するためにワリ・ティワナク研究は鍵となる。
次回2009年6月20日(土)は加藤泰建先生(埼玉大学副学長)による
ペルー北部山地ラ・バンバ遺跡の発掘 |