アンデス文明研究会特別公開講座リポート
8月のアンデス文明研究会・特別公開講座が下記の要領で開催されました。
南東地域から見た古典期マヤ文明の「崩壊」−コパン王都からの視点− 講師:中村誠一先生(サイバー大学世界遺産学部教授)
2010年8月21日(土) 東京外国語大学本郷サテライトにて
古典期終末期(830〜1000年)のマヤ中部地域においては、王の事績を刻んだ石碑の建立が途絶え、精巧な手工芸品の生産と流通が停止し、王都とその周辺の人口が激減します。この現象を古典期マヤ文明の「崩壊」ととらえる立場と、「衰退」ととらえる立場がありますが、先生は、この現象を古典期マヤ文明の「崩壊」ととらえ、北部低地や南部高地において後古典期も継続した政治形態は古典期とは異なる別物と考えられています。
コパンの「崩壊」については、20年間に亘って二つの学説が鋭く対立しています。一つの立場は、コパン谷において、9世紀の前半に暴力的な破壊を伴う王朝の滅亡があり谷の人口も激減した、というものです。もう一つの立場では、黒曜石水和法を用い、数多くの黒曜石サンプルを測定した結果、コパン谷においては王朝崩壊後も劇的な人口減少は起こらず、有力な貴族層が谷間を支配し、一般農民も13世紀頃までは居住していた、と考えます。
この論争の鍵を握る後古典期の資料が、コパン大広場北部の9L-22、23グループから発見されました。まだ最終結論に至ってはいませんが、コパンでは822年頃に、戦争や内乱で政治体制が崩壊した後も200年位は、別の派閥の貴族層が残り農民とともに居住が続いたのではないかと考えられます。2011年には、発掘された人骨や歯のストロンチウムや酸素の同位体比を分析し、この区域の居住民の出身地の解析を行う予定だということです。
次回2010年9月18日(土)は佐々木直美先生(法政大学国際文化学部 准教授)による
体で感じるペルーの祝祭 ― 講座とパフォーマンス |