2012年3月の定例講座
― 人々の暮らし:テオティワカンの事例から ―
講師:福原 弘識(ひろのり)先生(国立民族学博物館外来研究員)
2012年3月17日(土)
東京外国語大学本郷サテライト にて
テオティワカンは、4-5000m級の山脈に囲まれた標高2200mのメキシコ盆地北東部にあります。この土地は黒曜石産地に隣接し、メキシコ盆地と盆地外を結ぶ交通の要所であり、水量の多い泉と河川流域にある肥沃な平野部にあたりました。テオティワカンは200B.C.頃から成長をはじめ、紀元前後にはポポカテペトル山の噴火で被災したメキシコ盆地南部の人口も吸収し、大都市に発展しました。A.D.250頃までは綿密な都市計画のもとに、都市中心部の大型公共建造物が造られ、それ以降は人々が暮らすアパートメント・コンパウンドが建設され始めました。
当時、テオティワカンに居住していた支配者は都市中心部、エリートや庶民は都市の中のアパートメント・コンパウンドに住み、庶民の一部は郊外の粗末な小屋に住んでいました。これらの人達が住んでいた住居の構造や、階層社会の様子、甕・石臼・火鉢・ペタテ(敷物)などの生活用具、農作物・動物・昆虫などの食料、幻覚剤などの薬を使った医療行為、綿・マゲイ・獣毛皮などで作られた衣服やアクセサリー、農耕や黒曜石・貝・骨・緑色石・土器・土偶・顔料などの工芸品の生産活動、メソアメリカ全域に広がる交易網、壁画に残る神像や住居の床下埋葬などの信仰、テオティワカンがメキシコ盆地出身者だけでなくオアハカ・メキシコ西部・プエブラ-トラスカラ・メキシコ湾岸やマヤ地域出身者などの多民族で構成された国際都市であったことなどについてお話しがありました。
次回2012年4月21日(土)は、関雄二先生(国立民族学博物館教授)による
性と死者儀礼 モチェ文化の図像分析から
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